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〈wagayoのひとびと〉えはら まきみ

江原さん メイン写真

wagayoのひとびと・よみものシリーズが始まってから、職員の中で誰を取材すべきか、いろんな方に意見を聴きながら情報収集していました。

すると、度々耳にする「江原さんが良い!」と熱望する声。理由を尋ねると皆、「なんか、良いのよね……」という答えにならない答えが返ってきました。

「江原さん、一体どんな人なんだろう? 気になる……」と興味ばかりが募る中、み館を拠点に開催された長与町ウォーキングイベント・まちのさんぽみちの期間中、ご本人にお会いすることができました。

「あの江原さんだっ……!」と思いながら恐る恐るコミュニケーションを取るうちに、やんわりと打ち解けていくことができました。み館スタッフがバタバタしていた時も、「よかですよー」と言って雑務をお手伝いしてくれたのです。

江原「こういう手作業がきらいじゃないんですよねぇ」

なんて言いながら。その時に感じた、やわらかくナチュラルな空気感。確かに言い表し難い、だけどなんだか心地いいなと思えるお方である気がしました。

ということで! 早速取材のオファーをさせていただきました。江原麻希美さんの「なんか良い」の謎を紐解いていきたいと思います。

私、とにかくダメっ子だったんです。

江原さんの所属・ポジションは、かがやき1Fにある小規模多機能のケアマネージャー、そして管理者を務めます。

江原さん デスクでの仕事風景

出身は福岡県久留米市。長崎の短大に進学してから就職先も長崎を選び、それからずっと長崎で暮らしています。

江原「私、本当に結婚するまではだらしなかったんです(笑)。真面目になったのは30歳頃からで、短大も3次試験くらいで入れたんですよね。推薦入試に落ち、一般入試も落ちて『わたし何しよっかな〜』と思ってた時に、試験を受けなくても面接だけで行けるところあるじゃん!って。話するだけならいけるやろって、なんか変な自信があったみたいです(笑)」

ーそうなんですね!すごくギャップあります(笑)

友達からも「自分のことしか考えてない」と怒られたり、途中で行かなくなった陸上部のみんなからは冷たい目で見られたり……。江原さんの口から出てくるエピソードは、今の江原さんからは想像できないものばかり。

さらに、就職活動もしていなかったと言うから驚きです。

ー将来への不安みたいなものは無かったんですか?

江原「卒業するときに、『あれ? なんかやばいな。私、なんで就職してないのかな?』って思ってました(笑)。親も含めて、よく誰からも何も言われなかったなぁと思います。私何してたんだっけ?ってくらい、あんまり記憶がないんです(笑)」

江原さんはみんなより1ヶ月遅れの5月、長崎厚生福祉団に就職することになりました。そこは、短大の時に顔を出していた車いすバスケの関係者の方のご縁だったそうです。

江原さん 取材の様子

マネージャー的なポジションであることと、真面目そうな印象を抱いていたこともあって、のらりくらりと生きてきた江原さんの学生時代トークはかなり新鮮。

しかし、そんな江原さんが介護職という“人のためにお世話をする”ような働き方をなぜ選んだのか、気になります。

ヘルパーの素質が光る!家事をこなして育った子ども時代。

江原さんは20歳で長崎厚生福祉団に入社し、13年間勤めました。お仕事内容は、主に訪問介護ヘルパーさん。施設がある長崎市の稲佐山周辺のお宅を回ることが多かったそうです。

ー福祉分野の仕事に就いたのは、ご縁があったからたまたま、という感じですか?

江原「なんとなくヘルパーさんや在宅福祉みたいなものをしたいなって、昔からぼんやり思っていましたね。私、勉強は何もしなかったんですけど、ご飯作るとか掃除するとか、『自分の洗濯物は自分で洗いたい。家族の物とは別に洗わせて』っていうような子で、家事が好きだったんです」

なんとなんと、そんな隠し玉があるとは。

江原さん 

聞けば、子供の頃から、夕食の時間になればまるで主婦の風格。生協で届く1週間分の食材があるので、買い物に行かなくても何かしら揃っていたそうです。「さて、今日は……」と冷蔵庫を開いたり料理の本を見たりして、あるもので晩ご飯の献立を考えるのが日課でした。

ー家事が好きだなと一番最初に目覚めたのっていつですか?

江原「小学生のとき、日曜日の朝はホットケーキを焼いて家族4人で食べるのがお決まりでした。朝から父親が庭でゴルフの素振りをしているので、『焼けたよ〜』と呼んだら『ああ、そうか』と言って中に入ってくるんです(笑)」

そこから段々、お休みの日や学校から帰ってきた後には、掃除・炊事・洗濯。母親もどうやら「よっしゃ」と思ったのか、「犬の散歩とご飯作りはどっちがいいか」と2択で提示してきたそうです。

「いや犬の散歩は面倒くさいしな……、ご飯作りします」と答えて、乗せられて……。母親にうまく操られていたかもしれないと悔しそうな江原さん。

お話を聞きながら、そう言いながらも家事をちゃっちゃとこなす姿は容易に想像できました。江原さんを江原さんたらしめる何かは、もはや子どもの頃から確立されていた可能性が高いです。

江原さん 利用者との交流

ー習慣的に家事や料理をやっていたおかげで、ヘルパーのお仕事にも何か生かされてました?

江原「そうですねぇ。当時はやっぱりお家に行ったら、そこにあるものを使ってご飯を作らないといけなかったですもんね。白和を作ってくれとか。今は料理を作らずに、お弁当を渡すことが多いと思いますけど」

冷蔵庫を開けながら「さて、どうするかな……」と呟く江原さんの立ち姿は、新人の頃にもすでに板についていたに違いありません。

20歳の頃から、福祉の世界で育てられてきた。

長年勤めた仕事でしたが、お子さんが産まれ、子育てをするにあたってご主人の実家がある長与町に引っ越してきました。それからいくつか福祉系の職場へ転職をするも、うまくいかない時期も。

そんな時に、またもやご縁で紹介してもらったのが、かがやきでした。

ー転職しても、ずっと福祉のお仕事を続けてこられたんですね。

江原さん 利用者との様子

江原「他人の話を聴くのが好きなんですよね。それも、お年寄りのお話を聴くのが得意で、いくらでも聴いていられますね。自分のことを話すのは苦手で、後からいつも後悔しちゃうんですけど(笑)」

ケアマネージャーの役職も、聴くことが大事だという江原さん。相手が何を求めているのか、何に困っているのか。直接言葉にしなくても、遠回しにお話しされることもあります。本当の想いを汲み取るためにも、今まで培った傾聴の姿勢を活かします。

ーもし、もう一回やり直せるって言われたら、どうしますか?

江原さん 打ち合わせ風景

江原「そうですね……、福祉の道以外は考えられないですねぇ。20歳の頃から介護の仕事を始めて、本当にいろんなことを教わってきて。私が管理の仕事なんて考えられなかったけど、少しでも教わってきたことを還元したいなという思いでやっていますね」

また、ケアマネージャーとして定期的に研修や勉強会に参加する必要があるそうで、新しいことを勉強することも楽しいと話します。

学生時代の頃とは打って変わって、今やすっかり頼れる存在になっているのではないでしょうか。

江原さんの必携アイテム、公開。

最後に、江原さんが普段必ず持ち歩いているものを見せていただきました。

まずは、こちら。

江原さん 高良神社のお守り

江原「神社をめぐることが好きで、特に好きなのは、地元の久留米にある高良(こうら)大社。陸上部の時に、練習でその神社がある山をよく登っていたんです。実家に帰った時は、『はい、行きますよー』って家族を連れて行きます。神社に行っても、とにかく『はあ〜』って何かを感じ取るだけなんですけどね(笑)」

訪問介護でいろんな街を訪れていた時から、その土地に流れている空気が「冷たい」「ほっこりする」などを感じていたそうです。

そして、もう一つがこちら。

江原さん 手帳

手帳です。メモのページには、何やら文章が書き込まれています。

江原「年が明けたら、新しい手帳を買いますよね。そして1年の目標を立てるんですけど、その前に、去年の手帳から1年前、2年前とさかのぼって目標を書き写すんです。ああ、こんな目標立ててたなぁとか、これは上手くいったな、とか。そうやって手帳が乗り移るたびに、過去の目標を書き写す時間が楽しくて」

江原さん曰く、昔はダメっ子だったけれど、今ではきちっと目標を立てていかないと気が済まない性格になったのだとか。

皆が口を揃えて言っていた「なんか、良い」の理由は、江原さんのいろんな一面の中から見え隠れしていました。

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